2019
01.01

胚培養士 武田信好氏インタビュー

胚培養士インタビュー

今回は胚培養士の武田信好氏にインタビューをさせて頂きました。日本の不妊治療、特に高度生殖医療において胚培養士の存在は欠かせないものになっています。その日本の胚培養士の創生期から今までの30年余り、第一線を走ってこられたトップランナーでもあります。

今回のインタビューはその武田氏と日本の生殖医療の歴史を垣間見ることができるかと思います。

胚培養士になられたきっかけについて教えてください。

私は1986年に臨床検査技師の専門学校を卒業しました。

当時はちょうど日本がバブル期に入る頃だったので、就職先はたくさんあったのですが、正直言うと臨床検査技師の国家試験に落ちたら・・・との不安もあり、結果が分かるまで検査会社でアルバイトをしていました。

そして、無事に受かっていることがわかると、学校の先生から「宮城県岩沼市に今度、体外受精専門病院ができるから受けてみたら?」とスズキ病院(現スズキ記念病院)を紹介されました。

この頃の日本では体外受精があまり一般的ではなく、誕生した赤ちゃんは「試験管ベビー」とよばれ、胚培養士の名称はおろか恐らく職業としてもなかったように思います。

そのようなわけで私の体外受精に関する知識も新聞等で報道されているような大まかなものでしかなく、どんな仕事をするのか全く想像もつきませんでした。それでも、出身地の宮城県に就職したいという思いと新分野への興味が重なって、すぐに面接を受けに行き、運良く採用となりました。

採用後は、とりあえず臨床検査技師の仕事をするものだと思っていましたが、当時の院長である故鈴木雅洲先生(日本初の体外受精児を誕生させた東北大学名誉教授)のお考えで培養に携わるようになりました。

鈴木先生は、当時の海外でいうエンブリオロジスト(胚培養士)は臨床検査技師が最も適任だろうと考えておられて、私どもを海外を含めいろいろと勉強に出して下さいました。

私にとって日本のART(生殖補助医療)の変遷を一通り見て経験することができたことは大変運が良かったことだと思っています。

つい最近まで、ファティリティクリニック東京に勤務されていましたが、いつ頃から在籍されていたのですか?

そうですね。就職したのは、22年ほど前になります。最初に就職したのは宮城のスズキ病院ですが、そこに入職された小田原先生が開業されるということで、数か月遅れで移りました。

長い間、一人のドクターのもとで仕事を続けることができた秘訣について教えてください。

やはり、小田原院長のご理解があったということが一番ですね。

先生ご自身が培養のことも良くご存知ですし、かつては、自ら培養されていらっしゃいました。それにも関わらず、培養室のことに関しては最低限の助言程度で全てラボに任せてくださいました。

自分たちで考えながら責任を持って培養システムを構築していくということは、自由かつ画期的な発想に繋がり、成績の向上やモチベーションに繋がるものと思います。これは先生とラボに、お互いの信頼関係が構築できていたということも、大きいと思います。

長年、胚培養士として活躍されてきた中で得られた知識や課題の解決など、他のクリニックや胚培養士のサポートにつなげたいというお気持ちで起業されたのですか?

そうですね。

私は色々な胚培養士と話す機会があります。そんななかで小さなラボは、少人数で仕事をしているケースが多々見受けられます。さらに、あまり他に相談できず、経験が浅いうちに責任が重い仕事を任されていることも珍しくありません。また、ラボのマネジメントや技術的にもこれからというクリニックの話も耳にします。

このような場合は、外部からの情報を入れる(他施設の見学・学会参加や他からの指導を受け入れる)ことによって、ラボの質(成績や安全性)を上げることに繋がると考えています。

これらの必要性について経営者である先生方や培養室長自身にも気づいていただきたいですね。

そのような訳で私は、ラボに生じているマネジメントの課題(インシデント・アクシデント等)・培養クオリティーの差を埋めて安全・安心なラボを構築する一助になれればと思っています。

さらに、学会に参加しても知り合いがいないなど、胚培養士同士の交流がないという話も聞くので、そのような横の繋がりも作ってあげられたらいいですね。

今後コンサルタント業を起こし、契約していただけたクリニックに関しては、いつでも相談のやりとりができるようにします。そして受けた相談と解決についてまとめ、守秘義務厳守で情報を共有していく予定です。

話は変わりますが、自分の将来について漠然と後進に技術やノウハウを教える仕事をしたいなと考えていました。退職する際には慰留していただきましたが、最後には私の考えを理解してくださいました。

今現在は、どんなサービスが提供できるのかについて、より具体的に模索中です。

武田さんが思う胚培養士のやりがいとは何でしょうか?

やはり、我々の培養技術が結果に結びついた時です。

患者さんとお話をする機会があるのですが、我々胚培養士に色々と悩みを話してくださり、これまで大変ご苦労なさっている方が見受けられます。そういった方がつらい治療を経て結果的に妊娠出産をなさった時が嬉しいですね。なかには、お礼のお手紙や、わざわざご出産を伝えに来てくださる方もいらっしゃいます。

また、医学的に難しい症例だったにも関わらず、妊娠出産に至った時もやりがいを感じます。あまりに嬉しくて、培養記録などをもう一度見直してどのような経緯で妊娠に至ったのかを調べますし、そこから何か新しい発見が得られることもあります

こういった患者さんとの関わりや活動が、私たちのやる気に繋がっているのではないでしょうか。

どうしたら、もっと胚培養士の仕事が輝けるのでしょうか。

私が胚培養士という仕事に興味を持って続けてこられたのは、新しい発見や技術の導入があり、それを身につけることでどこよりも早く成績を出したいという思いがあったからです。やはり、何らかの発見や新しい技術を身につけたときはすごく嬉しいものですね。

これまでのARTには、IVF-ET, GIFT, PROSTなどの治療法・胚の緩慢凍結・顕微授精(PZD, SUZI, ICSI)・胚のガラス化凍結などのブレークスルーがありました。

我々はどこの施設よりも、いかに早く技術を身につけ成績に繋げるかというテーマに取り組んで競争していたもので、これがモチベーションに繋がっていました。

これからは新しい大きな技術革新が導入されるということは少なくなってきましたが、学会などで発表することも十分モチベーションに繋がると思っています。

また、自分なりの研究テーマを見つけることはとても良いことですが、難しい場合は、上の人に相談して見て下さい。

何かの研究テーマを追い続けることは、その分野において深く勉強することになり、誰にも負けない自信に繋がることと思います。

私は、大学院でのテーマに精子を選びました。きっかけはICSIをして確実に精子が入っているはずなのにどうして受精しない卵子があるのか疑問に思ったことです。受精障害がある症例は確かにありますが、たとえば10個ICSIして9個しか受精しない場合、なぜ1個は受精しないのかが納得いきませんでした。

また、採卵した卵子は、どうせすべてICSIすることになるので選択の余地はありませんよね? それに比べて精子は億単位で射精される訳で、受精できる精子は身体のなかでどうやって選別されるのだろう?自然の選別とは?という疑問が元になってます。それではICSIを施行する際に、どのように精子を選別・選択したらいいのか?といったテーマを追求し、いまも興味は尽きません。

ルーチンワークだけでだと単に仕事をこなすだけになってしまい、結局つまらなくなることもあるでしょう。そんななかで毎日の仕事の中から興味が持てるものが見つかれば新しい発見に繋がるのではないでしょうか? 我々はEmbryologistでありScientistです。

自分なりのテーマを持ち、研究をして学会や論文発表についても目標にして欲しいですね。

今後のビジョンについて教えてください。

ビジョンとしては、一番に安心・安全なラボの構築ですね。

具体的にマネジメントについて指導する場合には、経験に基づいた丁寧な説明を行い、理解されるよう努力します。

次に技術的に再考の余地があれば、理論に基づいた提案を行い、改善して行ければと思います

あらゆる意味でラボの質を上げ、みんなでやりがいのある環境を目指したいという気持ちがあります。

また、ニーズがあれば研究テーマに沿った実験系の構築といったアシストもしていきたいですね。

二番目としては、コンサルタントを行うなかで胚培養士の方々からの意見やアイディアを実現化して今後のARTに活かしていきたいと思っています。具体的にはツールやデバイスの開発です。そこで得られたものを日本だけではなく世界にも発信していきたいですね。

最後に、これだけは伝えたいということがあればお願いします

現在、ARTの世界において胚培養士という職種が重要な位置を治めていることは周知の事実です。

そして胚培養士の認定資格としては、生殖補助医療胚培養士と認定臨床エンブリオロジストがあります。さらに上級資格として日本卵子学会および日本生殖医学会認定の生殖補助医療管理胚培養士の資格があります。

私もこの上級資格を受験することを希望していたのですが、受験資格は基本的に博士および筆頭論文が3編あることが条件となっていました。

日本卵子学会に管理胚培養士の資格ができた当時、私は専門学校卒業であり、受験資格がありませんでした。そこにはこれまでの経験だけでは評価されず、学歴優先の壁が有りまして、いわゆる学歴コンプレックスがありました。

しかし、そのうち規制緩和の恩恵で、専門学校卒業であっても大学院に進学できる時代になって、私自身もそのチャンスを生かすことができました。しかし、そこに至るまでにいろいろな方々のご支援があったことを忘れることができません。

また、海外たとえばアメリカでは、培養室長になるにはPhD(博士号)・HCLD(Certification Standards for High-complexity Clinical Laboratory Director:ラボディレクタ-資格)を持っている人でなければなれません。

日本では特にそのようなものはありませんが、我々を取り巻くこの流れは、培養士の重要度が増すほどに今後もさらに顕著になっていくかもしれません。

私は日本のラボを世界に認められるレベルにもって行くためにも、多くの人がScientistとしても上を目指していただきたいと考えています。

就職してしまうと、なかなか大学院で勉強することは難しいですが、決して、諦めないでください。そのような努力を続けている人は生き生きしていますし、特に若い胚培養士の皆さんには世界にも目を向けて、是非がんばって欲しいと願っています。

まとめ

今日のインタビューはいかがだったでしょうか?

今後、胚培養士を長きにわたって行ってきた方々がセカンドキャリアをどのように過ごすのかということがクローズアップされてくると思いますが、その点においても武田氏の今回の取り組みは参考になるのではないかと思います。

フリーになった武田氏に教えを請いたいといわれるクリニックも多いかと思います。ぜひ、この記事を見て興味を持たれた方はご連絡くださいね。

<連絡先>

ART Future代表 武田信好

E メールアドレスnontakeda@gmail.com

携帯電話番号   090-2440-8505 

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